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本日の釣果。バラタナゴもチラホラいるでしょう?少ないですけどね。
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本日の釣り場。ドックです。
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今日は最高の釣り日よりですね。
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霞ヶ浦最高!

2012年12月16日の釣行

(場所)茨城県-霞ヶ浦-かすみがうら市周辺
(天候)快晴です。気温も高く最高の釣り日よりです。
(釣果)タイリクバラタナゴ(十数匹),タモロコ(多数),モツゴ(少々),ブルーギル(多数)

※10:15~15:58
出発が遅くなり、釣り場に着いたのは10:00ぐらいになりました。先週と同じドックです。今日はとっても気象条件が良く風もほとんどありませんし、気温も比較的高いようです。こんな絶好の釣り日和にもかかわらず、いま一つシャキッとしません。昨日、深夜3時ぐらいまで本を読んでしまっていて、単なる寝不足なだけなんですけどね。釣りを始めてからしばらくタモロコの相手をしていると・・・・うとうとしてきました。ちょっと寝てしまったでしょうか、ふと周囲を見るとおじさんがドック内で網かご(魚を取る仕掛け網)を引き上げています。捕まえた小魚をバケツにいっぱい入れて私の近くにやって来ました。佃煮用の小魚を採集しているとのこと。バケツには満タンに小魚が入っています。タモロコがメインですが、モツゴ、タイリクバラタナゴ、カマツカ、スゴモロコ・・などがいました。私がタナゴ釣りをしていると分かると、タナゴをくださるとのこと。いやいや釣りますから結構ですなどといった野暮なことをいうのは何なので、素直にいただくことにしました。彼の話によるとタナゴさんは邪魔者だそうです。「これが入っているとまずくなるんだよね。だからみんな捨ててるの。」と言っていました。彼が網を上げている箇所を後で見て回ると沢山の小さなタイリクバラタナゴが陸に転がっていました。まだ生きているものもいるのでドックに戻しながらいろいろと考えてしまいました。

若いころから漁をされている方などは古き良き霞ヶ浦を知っています。私たち70年代生まれは高度成長期後の作り替えられた霞ヶ浦しか知りません。生態系が豊かだった頃は、雑魚と呼ばれる魚に対する扱いが今と比べてぞんざいだったことは容易に想像がつきます。人が雑魚に感じる価値基準が違うのです。今のようにガイア理論や生物多様性などといった考え方自体あまり一般的ではなかったのですから当然とも言えます。まあ、生き物の命を語るときに価値などという言葉を使うのはよろしくありませんが。

また、彼がタイリクバラタナゴをポイポイと陸に捨てられるのも、仕事としてやっているのからなのか、はたまた先ほど述べた価値基準の相違なのか定かではありません。雑魚とりを生活の糧にしているのであれば、タナゴは邪魔なだけです。採取した雑魚をバケツに入れてタナゴだけを取り除くのはとても面倒でしょう。よって採集したタナゴ(売れない魚)は陸に上げて殺してしまった方が次に漁をするときに面倒が少し減ると考えます。こういった考え方は、合理的にビジネスをする場合、大なり小なり形を変えてほとんどの皆さんがやっていることです。私もその例外ではありません。

世の中の自然環境に対する見方も昔と今ではかなり異なります。流通インフラが整い細部に渡る分業化が進んで、私たち都市生活者が食べるものはスーパーかコンビニに陳列された自然環境とは完全に切り離されたモノとして目にします。スーパーに並ぶ野菜が実際に自然に生えているところをなかなか想像できないでしょう。切り身になった魚は・・・・。よって高度成長期以降の人々は「生き物が生活する自然」はとても「珍しいもの」という認識なのです。興味の対象になりやすいのです。だから小さな魚にもいろいろ役目があり・・・などと言ったことを考えるのです。しかし昔は自然との関係がもっともっと身近だったと想像します。自然は自分の身の回りに普通にあるものとして認識されているのです。ようするに当たり前のものなのです。だからいちいち小さな魚がどんな役目があるかなどというのは考えないでしょう。私のようにタナゴ類に異様に関心があるなどという人間は、昔であれば即変人でしょうね。要するに学者ぐらいしかタナゴ類に興味のある人はいなかったはずです。現在はタナゴ愛好家が沢山います。これはこの考え方に当てはめると簡単にわかりますねェ。私のような軟弱な都市生活者はタナゴ愛好家になりやすいということです。

いろいろ考えてしまいましたが、別にこのおじさんが悪い!と言っているのではありません。タナゴ釣りをしている私にタナゴを分けてくれるその気持ちだけで彼が人間味のある優しさを持ち合わせていることが分かります。価値基準の相違は簡単には埋まりません。しかし時代はどうあれ人間にとって自分以外の生き物の命を大事にするというのは最も崇高なことであるように感じるのです。どんなに小さな生き物にも人間の想像力でその立場に立つことができます。まあ人間の考える範疇ですから、その生き物の本質は分かるはずもありません。しかしその生き物が生きようとするエナジーは尊重できるはずです。

・・・・・ちょっと、だんだん話が大きくなってしまったので釣行記に戻しましょう。いただいたタイリクバラタナゴは30匹以上いたと思います。気持ちだけいただいて、全てドックにお返ししてまた釣りを開始しました。その後ものんびりダラダラ釣りをしていました。こんなのんびりした釣りもいいかもしれません。なにがなんでも釣らなきゃ来た甲斐がない!って感じになってしまうことが多いのですが、そういう目が血走った感じでやっていると周囲があまり見えなくなりますからねぇ。釣果は全く上がりませんでしたが、一日中ドックでのんびり釣りができたのでよかったです。ダラダラ釣行のため、釣魚のカウントもしておりません。

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